人事でも、データに基づいて意思決定することが当たり前になってきました。

では、研修を選ぶときの「データドリブン」とは何でしょう。

研究論文に基づいたコンテンツであること。
効果測定のデータがあること。
受講者アンケートの評価が高いこと。
多くの企業で導入されていること。

どれも研修を選ぶときの参考になります。
しかし、これらは同じ種類の「データ」ではありません。

私たちは研修を見るとき、
何について、どの程度の根拠があるのかを、
いくつかに分けて考えるようにしています。

そして、すべての研修について、同じ水準のエビデンスが必要だとも考えていません。

たとえば、50人を対象に、プレゼンテーションの基本を学ぶ研修を
一度実施するとします。

自社の状況に合わせた短い研修で、参加者が基本を理解し、実際の仕事で使ってみる。
それで目的を十分に果たせることもあります。

一方、数千人の管理職を対象に共通のリーダーシッププログラムを導入し、
数年間にわたって使うとしたらどうでしょう。

そこで扱うリーダーシップ行動は、本当に組織の成果と関係しているのか。
異なる業種や文化でも同じような傾向が見られるのか。
研修で学んだことは、職場での行動につながるのか。

確認したいことも、そのために必要なデータも違ってきます。

つまり、私たちは
「この研修はデータドリブンか、そうでないか」という二択では考えていません。

何を決めようとしているのか。その判断がどのくらい重要なのか。

それによって、必要な根拠の水準も変わると考えています。

最初に見るのは、研修で扱う内容そのものです。

たとえば心理学、リーダーシップ、組織行動などの
研究に基づいて開発されたコンテンツがあります。

これは、研修で「何を教えるか」に研究上の根拠があるということです。

一方、実務家が長年の経験からつくり上げたコンテンツもあります。
それが目的に合っているなら、
研究論文に基づいていないという理由だけで価値がないわけではありません。

大切なのは、その違いをわかったうえで選んでいるかどうかです。

私たちは、どちらなのかをできるだけ区別して見るようにしています。

コンテンツに十分な根拠があっても、それだけでよい研修になるとは限りません。

ここは映画に少し似ています。

よい題材や脚本の材料があれば、
それだけでよい映画になるわけではありません。

誰に何を伝えたいのか。
どんな場面をどの順序で見せるのか。
どこにどれだけ時間を使うのか。
映画では多くのことが設計されています。

研修も同じです。

何を教えるのか。
どの順序で進めるのか。
どこで考えてもらうのか。
どんな演習を入れるのか。
理解することが目的なのか、
実際に行動できるようになることが目的なのか。

こうした「どう学ぶか」の設計には、コンテンツとは別の根拠や設計思想があります。

私たちは、
コンテンツの根拠と研修設計の根拠を、
別のものとして扱っています。

もう一つ、区別しておきたいのが効果のデータです。

受講者満足度が高かった。
テストの点数が上がった。
研修後に行動が変わった。
チームの状態が変わった。
業績指標に変化があった。

これらはすべて研修に関するデータですが、測っているものは違います。

制度やルールを理解してもらう研修なら、
理解度テストでかなりのことがわかるでしょう。

しかし、リーダーシップやコミュニケーション、思考や意思決定のように、
職場での行動が変わることを目的とする研修では、
理解しただけでは目的を達成したことになりません。

さらに、その先にチームの状態や組織成果の変化まで期待するなら、
話はもっと複雑になります。

上司、同僚、仕事の仕組み、実践する機会、その間に起きた別の施策など、
成果に影響する要因が増えていくからです。

遠くの成果を測ろうとするほど、
単純に「この研修のおかげ」とは言いにくくなります。

そのため私たちは、「効果が実証されています」という言葉を見るときも、
何を、いつ、どのように測ったデータなのか
を見るようにしています。

研修を広く展開するときには、もう一つ別の問題があります。

誰が教えるかです。

映画では、同じ脚本でも演じる人によって違いは生まれます。
それでも、作品全体が俳優一人の力量だけに依存しないように、
さまざまな設計や品質管理が行われます。

研修でも私たちは、標準化された設計と講師養成によって、
「優れた講師に当たったときだけ成立する研修」にしない
ことを大切にしています。

もちろん、講師が違えば、まったく同じ研修になるわけではありません。
経験、問いかけ方、場のつくり方などには個人差があります。

一方、何をどの順序で扱うかが設計され、
講師養成や認定にも一定の基準があれば、
その違いを残しながらも、プログラムとして一定水準の品質を保ちやすくなります。

特に、
多くの人を対象に、
複数の講師、
複数の地域や言語で同じプログラムを展開する場合、
私たちはこの点も研修の品質を考える重要な要素だと見ています。

ここまで考えると、非常に多くのデータが必要なように見えるかもしれません。

しかし私たちは、すべての研修について最大限のデータを集め、
最大限の検証を行うことが合理的だとは考えていません。

一度だけ実施する小規模な研修と、
数千人を対象に何年も展開するプログラムでは、
意思決定を間違えたときの影響が違います。

独自性の高い内容を、限られた対象者にすぐ提供することを
優先したい場合もあります。
その場合には、「ここについては十分なデータがない」とわかったうえで、
それでも目的に合っているから採用する、
という判断もあり得ます。

反対に、多くの社員に長期間提供し、重要な人材育成施策の基盤にするのであれば、
コンテンツ、研修設計、実際の効果、提供品質について、
より強い根拠を求める意味があります。

データドリブンかどうかは、0か1ではありません。

私たちが大切だと考えているのは、データが多い研修を選ぶことではなく、

何を判断するために、どの程度の根拠が必要なのかを考えることです。

研修について「データはあるだろうか?」と問いかけるだけでなく、

「そのデータから、何がわかるのだろう?」と考えてみる。

データドリブンな研修選定は、そこから始まるのかもしれないと思います。