越境学習というと、他社や異業種へ出て学ぶことを思い浮かべがちです。しかしSamsung Electronicsの400層を超えるV-NAND開発では、数百人のエンジニアが自分の担当領域を越え、異なる専門家とつながりながら問題を解いていました。

社外へ行かなくても、開発、製造、品質、企画など、社内には異なる「世界」があります。

今回注目するのは、専門性を持ちながら「担当外」に踏み込み、異なる部門・専門の人と一緒に考え、実際に試し、Evidenceから判断を修正する社員の行動です。

SamsungのEvidenceから、日本企業のHRにとっての「社内越境」「自律型人材」「部門間連携」「ラーニングアジリティ」の可能性を考えます。

「それは私の担当ではありません」

仕事が高度に専門化するほど、この言葉は自然になります。
ところがSamsung Electronicsの最先端半導体開発を調べてみると、逆の行動が見えてきました。

Peemo(公開情報からEvidenceを集めるリサーチ役):
「Dash、400層を超えるV-NAND『V10』の開発では、数百人のエンジニアが毎日のように集まり、課題を議論して問題を解いています。」

Dash(Evidenceから人材開発への意味を分析する役):
「数百人? 半導体ほど専門性が高ければ、むしろ担当領域を細かく分けると思っていたよ。」

Peemo:
「ところが技術が複雑に絡み合うため、自分の担当だけを理解していても問題を解けない。Samsungのエンジニア自身が、個々の担当を越えて隣接領域を理解する必要があったと話しています。」

担当外だからこそ、踏み込む

ここが面白いところです。

開発、製造、各工程の技術者。

異なる専門家が、

問題を見る。
情報を持ち寄る。
自分の専門外について質問する。
一緒に原因を探す。
試す。
結果を確認する。

Samsungは、このためにクロスファンクショナルなタスクフォースもつくりました。

つまり、
「専門性を高める」
けではなく、
「専門性を持った人が、その境界を越える」
ことが問題解決につながっています。

15,000人を「知恵」に変える

Peemo:
「別の製品開発でも、似た行動が見つかりました。QLED TVのゲーム機能を企画したチームは、社内プラットフォームMOSAICを使って、約15,000人のSamsung社員から提案を集めています。」

Dash:
「企画担当者だけで『顧客はこう使うだろう』と決めなかったわけだね。」

さらに開発エンジニアは、市場にあるゲーム機器を一つずつ実際にテストしました。
試して、うまくいかなければ修正する。

ここでも、

人に聞く。
実物で確かめる。
Evidenceから判断する。

という行動が見えてきます。

自分のアイデアを「外」に出す

SamsungのC-Lab Insideも、制度そのものより社員の行動を見ると興味深くなります。

社員は自分のアイデアを提案し、他の社員から評価を受け、チームをつくり、試作し、事業化の可能性を検証します。
選ばれた社員は通常業務を離れ、最長1年間、自分たちのアイデアの実現に集中できます。

重要なのは、
「良いアイデアを思いつく」
だけで終わらないことです。

アイデアを人に見せる。
異なる意見を受ける。
試す。
修正する。
市場で通用するかを確かめる。

自分の考えをEvidenceにさらしています。

自律型人材は「一人でできる人」なのか

Peemo:
「こうして並べると、Samsungの社員はかなり自律的に見えます。」

Dash:
「ただ、自律を『一人で何でもできること』と考えると、Samsungの行動は少し違って見えるね。」

飛びぬけたリーダーの視点から見ると、リーダーシップは管理職だけのものではありません。
問題に気づき、必要な人を巻き込み、結果に向けて動く。
これは役職にかかわらず発揮できるリーダーシップ行動です。

ダイアローグワークスの視点では、自分と異なる専門性を持つ人との対話が、自分のメンタルモデルを確かめる機会になります。

そしてPQA(精密な質問と回答)の視点から見ると、
「自分の担当工程をどう改善するか?」
だけでなく、
「これは本当に、この工程だけの問題なのか?」
と問題そのものを問い直すことができます。

Samsung社員の行動をつなげてみる

Peemo:
「今回集めたEvidenceを並べると、共通する流れがあります。」

問題を見る。
自分の専門だけで解こうとしない。
必要な人とつながる。
異なる意見を聞く。
実際に試す。
Evidenceを見る。
判断を修正する。
そして、また動く。

Dash:
「Samsungというと半導体、スマートフォン、AIなどの技術に目が向く。でもHLS Journalで見たいのは、その技術の裏側で社員がどう仕事をしているかなんだ。」

越境は「社外に出ること」だけなのか

日本のHRでは、近年「越境学習」への関心が高まっています。

越境というと、自社を離れて他社や異業種の職場に入り、普段とは違う環境を体験して学ぶことをイメージする人も多いでしょう。

もちろん、それも有効な方法です。

しかしSamsungのEvidenceを見ると、もう一つの可能性が見えてきます。

Peemo:
「Samsungのエンジニアは、別の会社へ行ったわけではありませんね。」

Dash:
「そうなんだ。会社の中にある境界を越えている。」

開発から製造へ。
自分の工程から隣の工程へ。
技術から品質へ。
企画からユーザー視点へ。

同じ会社でも、部門や専門が変われば、使う言葉も、見ているEvidenceも、仕事の優先順位も違います。

つまり、社内にも十分に「異なる世界」があります。

越境学習を、
「他社へ行って経験すること」
だけに限定する必要はありません。

異なる部門の仕事に触れる。
その部門の人と一緒に問題を見る。
相手が何を重視して判断しているのかを知る。
自分の専門では見えなかった問題に気づく。
そして、一緒に解決してみる。

これも立派な越境です。

異動しなくても、越境できる

さらに重要なのは、必ずしも正式な人事異動を伴う必要がないことです。

SamsungのV-NAND開発で見られたのは、社員を次々に別部門へ異動させることではありません。

一つの難しい問題を解決するために、異なる専門家が境界を越えて集まり、互いの領域を理解しようとする行動です。

Dash:
「HRが越境の機会を考えるとき、『社員をどこの会社へ行かせようか』だけでなく、『自社の中に、まだ出会っていない世界はないか』と考えてみてもいい。」

Peemo:
「研究、開発、製造、営業、マーケティング、品質、カスタマーサービス。確かに同じ会社でも見えている景色はかなり違います。」

Dash:
「そこをつなぐだけでも、自分のメンタルモデルを揺さぶる経験になる。」

特に大手・中堅企業には、多くの事業、職種、専門家、顧客接点があります。

それは人材開発の観点から見ると、大きな学習資源でもあります。

越境の目的は「行くこと」ではない

大切なのは、他社へ行ったか、他部門へ行ったかではありません。

越境した結果、

今まで見えなかったものが見えたか。
異なる考え方に出会ったか。
自分の前提を問い直したか。
新しい人とつながったか。
そして、仕事の進め方が変わったか。

SamsungのEvidenceが示しているのは、「境界を越えること」そのものよりも、境界を越えた先で異なる専門性とつながり、問題解決につなげる行動の重要性です。

日本のHRへの問い

日本企業でも、DX、AI、高度専門人材、ジョブ型などによって専門性はますます重要になっています。

しかし、専門性を高めるだけで十分でしょうか。

専門性が高くなるほど、
「これは自分の担当ではない」
という境界も強くなる可能性があります。

だからHRにとって、
「専門性の高い人材をどう育てるか」
と同時に、
「専門性の高い人材が、必要なときにその境界を越えられるか」
という問いが重要になります。

自律型人材とは、何でも一人でできる人ではない。

自分だけでは解けないと判断したときに、専門の境界を越え、必要な人とつながり、Evidenceから学びながら前へ進める人。

Samsungの社員行動は、そんな自律の姿を見せてくれます。

そして日本企業のHRにとっては、もう一つ問いが残ります。

「越境の機会をつくるために、社員を社外へ送り出すことばかり考えていないだろうか?」

自社の中を見渡してみる。

そこには社員がまだ知らない仕事、専門性、顧客、問題、そして人がいるはずです。

社内の境界を越えるだけでも、人は十分に新しい世界を見ることができます。

Akira Chida (Dash)
SmartWorks
HLS Global Case Research